朝鮮戦争

 1950年6月25日、それは、北朝鮮の侵攻から始まった。
 
 犠牲者は、韓国軍17-26万人、民間人133万人、
 北朝鮮軍は33-41万人、民間人109万人、

 日本からも、兵員物質輸送、掃海部隊、従軍看護婦が動員され、すくなからぬ犠牲者を出した。

 ソ連が1949年に、原爆開発に成功、し自信をつけ、北朝鮮の侵攻を援助した。
 スターリンは、軍事顧問を派遣し、大量の火器供与をした。

 当時、韓国軍は10.4万人、北朝鮮軍は19万人、加えて、北は、航空機211機と、大量の火器を備え、韓国軍10倍の火力を有していた。

 また、初のジェット戦闘機同士の戦闘が行われた。ソ連のMig-15と、アメリカのF-86である。当初は互角だったが、F-86の新型を大量に投入したことで、韓国軍は、制空権で優位になった。また、この時、投入された国連軍は、25万人である。

 1953年7月23日、板門店で休戦協定が結ばれ、以降、休戦状態となる。
 横田基地には、国連軍後方司令部が置かれているのは、あまり知られていないかもしれない。
 従って、横田飛行場には、米、日、国連の国旗が掲揚されている。

 第二次世界大戦から、僅か5年足らずで、冷戦が顕在化したものだ。
 当初、米軍は、日本の占領政策に専念していたが、参戦せざるを得ず、これが、日本の完全武装解除から、防共のために、警察予備隊、そして、自衛隊へと再軍備化の要因となったのは、間違いないだろう。
 戦後日本の、一大転換点である。

 ともすれば、朝鮮戦争は、まだ終結していないことを、忘れがちだが、我々のすぐそばで、火の種がくすぶっていることを、忘れてはならないだろう。

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グリッペン

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