「分かった」ということ

 例えば私が、「コロナ」について知りたくて、YahooのWikipedia を読んだとしよう。
 果たして、これが「分かった」ことになるのだろうか?

 もっと、Google 、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど、複数のメディアで調べる必要があるだろう。

 しかし、本当に理解するには、やはり、自分の足で、調べるべきだろう。

 だが、現実には、一々そうすることは、不可能だ。

 だとすれば、「本当の真実かどうかは分からないが・・・・・」と言う畏れを持ちつつ、謙虚に、完全にはわかっていない自分を、認めるべきだろう。

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グリッペン

私の徒然です。