第二次世界大戦の、戦争責任を問われたとき、我々は、為政者を真っ先に挙げるが、それには、疑問が残る。
なぜなら、戦争を本当に推進したのは、実は、当時の国民自身だったからだ。
いくら帝国主義の時代と言っても、国民が、全面的に反対すれば、いくら強力な軍部と言えども、戦争は、遂行できなかったのではないか。
当時の国民は、米国の石油輸出規制などに苦しめられて、東アジアを含む大東亜共栄圏の繁栄のためには、日米開戦やむ無し、という空気が、あったのではないだろうか。
また、今後、日本が再び戦争に巻き込まれないようにするためには、戦争教育が必須であるが、戦争の悲惨さを語るべき、第二次世界大戦の経験者は、高齢化が進み、あと、10年も経てば、もはやほとんどの経験者が、いなくなるだろう。
そのときは、現代の紛争の真実を、ありのままに示すことである。
その時、日本では、暗黙の了解で、遺体などの悲惨な映像は、見せないことになっているが、それでは真の理解は生まれない。
先進国では、そのような映像を公開するのは、常識なのだから、日本も、早く普通の国をなってもらいたい。
映像の力は、思いの外、強烈なのである。
そして、自由に意見が言える環境を整えることも大切である。
誰もが同じ考えをするようになったら、十分に警戒すべきだ。
ともすれば、戦争や平和について考えることは、疎かになりがちだが、そのような時に、静かに忍び寄るのが、戦争を肯定する心だ、ということを、肝に命じたい。
グリッペン
私の徒然です。
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