カンボジア大虐殺

 カンボジアは、今は比較的平和な国だが、私がまず連想するのは、ポル・ポトの大虐殺である。

 1975-1979年で、ポル・ポト政権により、毛沢東が実施した、原始共産主義が実施され、非効率的な農業により、大量な餓死者が出た。
 この、毛沢東の手法は、大失敗して、大量の餓死者を出したのだが、なぜそれを採用したのか、疑問である。
 ポル・ポトは、自分に反対する全ての勢力、個人を、見境なく、虐殺した。また、貧弱なインフラで病死する人も多数だった。
 これらの死者は、100-200万人と言われ、当時の人口の13-29%に当たり、その壮絶さが伺える。

 大虐殺について、Wikipedia で検索したが、多すぎて、WWⅡ以降の主なものだけを挙げると、
1. ナチスのホロスコート
2. ソ連の戦争犯罪
3. 原爆投下
4.ウイグル、チベットの中国による大虐殺
5. イスラエルによるパレスチナ虐殺
6. 朝鮮戦争
7. ベトナム戦争
8. ポル・ポトの虐殺
9. ルワンダ紛争
10. シリア内線
 これでも、かなりはしょったつもりだが、とても書ききれるものではない。
 どこかの本で、
「有名になるのは、簡単だ。大虐殺すれば良いのである」
 という記述があったが、人別に見ると、
・エンベル・パシャ(トルコ)
・レオポルトⅡ(ベルギー)
・ポル・ポト(カンボジア)
・ヒトラー
・スターリン
・毛沢東
こうして見ると、WWⅡ以降、ヒトラーを除いて、共産主義者であることが特徴である。
 やはり、共産主義は恐ろしい。

 ポル・ポトが撤退した後でも、政情は不安定で、1992年、国連カンボジア暫定統治機構が発足し、93年には、国連監視の下、民主的な選挙が、実施された。
 この時の国連代表が、日本の明石氏である。
 
 1999年には、ASEANにも加盟し、ようやく安定した国になる。

 私の大学時代、カンボジアからの留学生が、東工大に来ていた。
 1982年頃だから、ポル・ポトはもう、勢力はなかったが、まだ不安定な時代で、彼の家族の安否も分からない、と言っていた。
 彼は、カンボジアの公用語である、クメール語のワープロを作ろうとしており、それはほぼ完成していたが、今となっては、消息は分からない。
 無事に帰国して、国の再建に尽くしていたのだと、信じている。
 現在のカンボジアは、まだ治安が良いとは言えない状況らしいが、一刻も早い治安回復を祈念する。

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グリッペン

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