2002年、イラク復興支援のために、陸上自衛隊の精鋭部隊である、旭川の第二師団が、派遣された。
その頃は、安全法案は、まだ施行されておらず、敵に攻撃された時だけ、反撃ができるという、世界の標準からすれば、誠におそまつな体制で、行く他はなかった。
勿論、この派兵は、完全志願制で、行きたくなければ、志願する必要はなく、その事で昇進の妨げにもならなかった。
しかし、全員が進んで志願した。
しかも、その後には、全国の部隊から、大勢の志願者が、控えていたのである。
当時のイラクは、国家というものの形態を成しておらず、戦闘地帯を避けて、駐屯させることにしていたが、いつ、どんな地帯でも、瞬間的に戦闘地帯になる可能性があった。
つまり、どこに駐屯しても、そこは事実上、戦闘地帯であったのである。
それを承知で、旭川の第二師団は、イラク支援に行き、「男をするとが廃る」ことはなかったのである。
彼らは、自らの命を、文字通り、イラクの復興のために、捧げたのである。
そして、イラクでは、駐屯地に、迫撃砲などの着弾等はあったものの、全員が無傷で帰還することができた。
これは、全くの偶然で、殆んどあり得ないことだった。
きっと、幸運の女神が、微笑んでくれたのだろう。
現在は、安全法制のお陰で、積極的な防御も可能で、その上、他の近隣の外国部隊などが攻撃された場合には、その部隊を支援して、防戦することが可能になり、やっと世界標準の軍隊になっている。
今後も、自衛隊の活動できる範囲で、PKOなどに、積極的に参加して頂きたい。
少なくとも、私は、全面的にそれを応援したい。
グリッペン
私の徒然です。
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