ルワンダ大虐殺

1994年4月、ルワンダで、突然、大虐殺が行われた。
彼が3歳の時だ。
それは、少数派だが、国を主導していた、ツチ族と、大勢派のフツ族との、衝突だった。
彼の母や兄弟は殺された。
その結果、彼も含めて、大量の虐殺孤児が生まれた。
その多くは、ストリートチルドレンとなり、大富豪からの施し、飲食店での、客の残飯の盗み食い、物乞い、などで暮らしていた。眠る時は、段ボールで寒さをしのいだ。
野犬に襲われたり、その辛さから、アル中や、薬物依存になる子供もいた。
また、マラリアでも、大勢の子供が死んだ。
彼は、初めは、取り締まりの警官から逃げ回っていたが、やがて「保護」され、「施設」に入れられた。
しかし、殆んどの施設は、劣悪な環境で、食べ物は、古くて、酷かった。
でも、唯一、恵まれたと思われるのが、学校にいけたことだ。
しかし、彼は、その環境にたえられず、何度も脱走を試みた。
学校は、寄宿舎があり、寝るところと、食べ物は確保できたが、夏休みなどは、皆が親元に帰るため、彼は一人になってしまった。
彼は、なんとか学校に頼んで、休みの間も、寄宿舎にいられるようにしてもらった。
学校を卒業すると、寄宿舎をでなければならないので、遠い裕福な親戚を頼ったが、「お前なんか知らない」と言われて、再び、首都のギガリに行って、ストリートチルドレンに戻る。
そして、多くの苦労の後、ようやく、飲食店の仕事に着けたのである。
彼は、帰る家すらなかった。
でも、驚くべきことに、根性を曲げることもなく、
I am lucky, lt is mirucle.
と、彼を助けてくれた人に感謝をしている。
希望を捨てず、
I think everything will be all right.
と、自分も、
Good man
になると、明日を信じて、1日1日を生きてきた。
これは、奇跡としか言いようがない。
彼は、見事に、大虐殺からさえも、人生を、学んだのである。
見事な人生だ。
深く敬意を表したい。

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グリッペン

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